おいとまにっき

お休み中の雑記

共感覚の子どもとの接し方を考える

思い出

子どもの頃、文字に色が付いて見えていました。色が付いていたのは、ひらがなやカタカナ、数字です。漢字は簡単な漢字には付いていたかもしれませんが、あまり覚えていません。それは漢字を覚え始める頃ーー小学校に上がる頃にその感覚がなくなったからだと思います。

当時はなんとなく、自分が見た五十音表や語感から色がイメージされ、そう感じているのだと思っていました。そして、自分のイメージであり、他人と共有できるものではないと理解していたので、特に親や他の大人に話すことなく、そのままその感覚はなくなりました。

大人になり、親になり

大人になってから、テレビ番組で共感覚というものを知り、「あ、これだったのか」と思いました。そして、それが未分化の感覚であり、発達の中で分かれる事がほとんどだと知り、自分の経験と照らし合わせて納得しました。

しかし最近、テレビドラマで「共感覚=才能」「共感覚を持つ人=天才」みたいな描かれ方をしていたり、そうとらえている人と話したりしたので、それは危険だなと感じています。他人の話なら全く問題ありませんが、もし自分の子に共感覚があり、それに基づく話をしたときに、マイナスの影響が及ぶかもしれないからです。ということで、共感覚を持つ子どもとの接し方を、(専門家ではないのですが)かつてそういう子どもだった、という立場でメモしておきます。

共感覚の子どもとの接し方

天才だと持ち上げない

共感覚それ自体は才能ではなく、ただの未分化の感覚です。テレビ等に出るような共感覚を持つ大人は、それをうまく利用して記憶することで、天才たりえているのだと思います。なのに感覚そのものを才能としてしまうと、それが成長の中で自然となくなったときに、喪失感を与えかねません。

気持ち悪がらない

では、どう扱えば良いのか。子どもが理解不能なことを言っている。自分に見えない色を見えていると言っている。そこで、一番やってはいけない、あの頃の自分がされたくなかったであろうことは、気持ち悪がることです。場合によっては、コミュニケーションをとる気持ちがなくなりますし、共感覚がなくなっても引きずる恐れがあります。

他者と共有できない感覚だということを伝える

おそらく適切なのは、持ち上げたり落としたりせず、それは自分には分からない感覚であることを伝えるのが良いと思います。他人と共有できない感覚であると分かれば、伝わる方法で(共感覚を使わずに)コミュニケーションを取ろうとしますし、そうすれば共感覚がなくなってもうまく生活していけます。

おわりに

自分の子どもに共感覚があったり、それについて話したり、という可能性はそれほど高くはないかもしれません。でも、もしその時が来たら、自分がどう扱ってほしかったか思い出して接したいと思います。